『山歩みち』から取材を受けた。
主に山の初心者・初級者たちを対象にしたフリーペーパー。
自分がやっていることは吹雪の津軽とか厳冬カナダの山旅とかで、読者どころか大半の山屋と山の話をしたところでまず噛み合わない。
読者にとって何か参考になるのか。
初心者・初級者だからこそ可能性があったりする。
知識も経験もないゆえに枷(かせ)もまたないのだろう。
自身をふり返ってみても知識も経験もなかったころのほうが、根拠もなく自分にはできるとおもっていたし、だからこそ実行にも移せた。
なによりもかけだしのころのほうが、世界はひろかったような気がする。
7月1日(水)の「新潟日報」朝刊に、新潟市のスタジアム、ビッグスワンでの作業風景が掲載された。
遠藤甲太の追悼文を書いた。
(じつはこのGW中に亡くなった)
どんな人なのか。
70年代の冬の谷川岳一ノ倉沢のルンゼ登攀、頸城・海谷山塊のルート開拓、ラトック1峰初登攀、登攀史研究執筆、そして近年はヤマケイ本誌の読者紀行の選考、、、
といったことはすくなくとも自分にとってはどうでもいい。
まず山や登攀の好みが似ていた。
2、3年で結果の出る記録よりも、何をめざしているのかすらわからないような、行動者自身が迷いながらも前へ前へみたいな一行で表現できないような山や登攀。
自分が冬のカナダの旅に通いはじめたころ、自然条件の厳しいフィールドを舞台に沢木耕太郎の『深夜特急』のような放浪の旅ができないか模索していた。
関心を示す人が皆無だったなかで、遠藤甲太は「いいですねぇ」と興味津々だった。
そもそもなぜ生きるのかすら明確に答えられないのに、目標だのゴールだの軽すぎる、みたいな話をよくした。
何もわかっちゃいないヘタレから自殺志願者といわれようが、真摯に取り組むからには死をも受け入れる必要がある。
いっぽうで堕落にも似たぐうたらな旅も大好き。
その振り幅のひろさがおもしろい。
そうした会話がごくしぜんにできる人だった。
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詳細は、
https://www.yamakei.co.jp/products/2820906270.html