「ねえ、山小屋ってどんなところ?」
「実績も実力もないクソ・ガイドやクソ・オヤジどもが、酒飲んで大ボラ吹くところだよ(笑)」
何かの分野で頭角をあらわしはじめる人がでてくると、かならずといっていいほど全身全霊でつぶしにかかる人がでてくる。
世の中は何かで頭角をあらわす人よりも、全身全霊でつぶしにかかる人のほうが格段に多い。
裏を返せば、全身全霊でつぶしにかかることは特別な才能など必要ない「どなたにでもできる軽作業」といえよう。
やりたかったけれど、けっきょくやらなかった。
世の中そういう人ってたくさんいる。
昨夜読んだ本。
『間違う力』(高野秀行著)
アフリカでの謎の怪獣探しやミャンマー北部の麻薬地帯長期滞在を行ってきたノンフィクション作家のこれまでの奇跡を、人生訓10カ条にまとめたもの。
とにかく早大探検部出身のこの著者は、何でもあり。
いやだって、、、
自由を求めて山とか旅とかやっとるのに、教条主義を押しつけてくる輩が少なくないから。
サンダルで夏の北アルプスを歩いてはいけません、自転車で雪の上を走ってはいけません、はじめてのスキーで長期縦走をやってはいけません、運動靴で雪山に行ってはいけません、台風直撃のときに山でキャンプしてはいけません、冬型が強まったときに東北の日本海側の山に行ってはいけません。
あれダメこれダメそれもダメ、、、
この著者は、基本などはなから無視していきなり応用から入る。
だいたい基本をきっちりやっていたら実践に移る前に人生が終わる。
この本に書いてあることが役に立つかどうかはさておき、まずはやったもん勝ちという著者の姿勢は読んでいて気分がスカッとする。
いくら猛練習を積んでも絶対に試合に出ない野球選手に価値はない、と言いきる。
基本ってそんなにたいせつなのかなぁ。
きっちりと基本を身につけてからと言っているうちに、チャンスを逃してしまった人たちをたくさん見てきた。
そもそも基本とは目的ではなくて手段ではないだろうか。
くどいほど声高に基本を叫ぶ人って、じつは本番で試されるのを避けているだけだったりする。
今夏は、おなじところに40泊以上した。
ずっと居ても、けっして飽きることはない。
自然は生きている。
繊細に刻々と変化してゆく。
2つとおなじ顔はない。
長く居るからこそ、五感はより研ぎ澄まされて自然のわずかな変化により繊細になってゆくのだろうか。
もっと長く滞在してみたら自分の感性はどう変化してゆくのだろうか。
もうすこし秋が深まるまで滞在してみるのはどうだろうか。
あるいはもっと欲張って冬がはじまるまでとか。
思いきって越冬はどうだろうか。
いまいろいろな思いが頭のなかを交錯している。
台風直撃のときの登山は避けるべき。
記録的短時間大雨のときの行動など言語道断である。
たしかにそうだ。
でも現場の生の空気に触れたうえでそうコメントしている人は、果たしてどのくらいいるのだろうか。
情報なんてしょせんは机上の空論だ。
あるいは情報とは、事実からあまりにも遠く離れてしまったもの。
だから他人の助言に耳を傾ける気がしない。
とりわけ中途ハンパな勉強や中途ハンパな経験しかないような輩の言葉は、バッサリ切り捨てたほうがうまくいったりする。
あやふやな言葉や数値に惑わされるくらいなら、直観を頼りにきめたほうがマシ。
で、現場でヤバイと思ったら、余計なことはごちゃごちゃ考えないで潔く中止すればいい。