ついつい誰かに語りたくなる思い出がある。
しまっておいたほうが色褪せない思い出がある。
ここ数年、がんばらない登山がことのほかおもしろい。
(もともとあんまりがんばらなかったけれど(笑))
あらゆるものを犠牲にして前へ前へすすむ登山とおなじくらい、がんばらない登山もおもしろい。
でも誰かから価値観を強要されたような登山は、ゆるゆるでもストイックでも評価されなくても高く評価されても、やっぱりおもしろくない。
会社員で時間がないからってやりたいことやらずに、酒飲んでグチってちんたら過ごす人がいる。
会社員で時間がないからこそ、やりたいことは効率よく集中的にやる人がいる。
無職になって、やりたいことをおもいっきりやって成果を出す人がいる。
無職になって低きへ易きへとひたすら流されて、やっぱり制約がないとと酒飲んでグチる人がいる。
もしかしたらやりたいことをやらずに状況のせいにして酒飲んでグチっているような人たちが、世の中や組織を陰でささえているのかな。
それでもやっぱりやりたいとおもったことはやったほうがいい。
山は逃げないってたしかに一理あるんだけれど、そういっている人ってたいてい若いときから晩年になっても登れそうな簡単な山にしか行っていない。
話が噛み合わない人って、たいてい解答がすでに用意されている(難しくてもゴールが見える)課題に興味を持つ人かもしれない。
だから自分の場合、グレードが体系化されたフリークライミングにもボルダリングにもあまり興味がわかない。
山岳部の人とはまず話が合わない(ほんの極一部は合う)けれど、探検部の人の話を聞いているとしばしばなるほどってうなずく。
本はわりと好きだけれど、膨大な暗記をして体系的に理解してゆく一般的な勉強もどうでもいいとおもってしまう。
解答がわからない(ゴールすら見えてない)課題と格闘すること自体が楽しいのかもしれない。
たまにいったいなんでこんなことやってるんだろうって自身に問ながら前へ前へみたいなのは好きだ。
もしかしたら命を懸けたり無理して何かをやらない人のほうが、山とかで事故ってないだろうか。
山における死というものをあるていど容認している人って、自然の厳しさもまたきちんと受け入れていたりする。
追求するほど自身の限界とも対峙せざるを得なって、より現状を直視するようになる。
命を懸けたり無理して何かをやらない人って覚悟もゆるゆるだから、いざというときの対処も弱かったりする。