夏には行けるようになるといいな。
もちろんコロナ騒動がおさまらなくても麓から歩いていくことはできる。
でもそういう問題じゃない。
自身のなかで大きな違和感を抱えたまま山に行っても楽しくない。
今後どうなるかわからないけど、行けるようになるという前提で考えていきたいな。
何度も訪れている場所でも、きっとこれまでとはちがった印象が残るだろう。
最近の登山者もガイドもどうしてレインウェアの防水機能やテントの耐風性とかに、ぐだぐだぐだぐだぐだクソうるせえんだよッ!
どうせ大雨だったり台風だったりすれば、すぐに山降りちまうんだからぜんぜん関係ねえじゃんかよッ!!
やっぱり植村直己に憧れて山とか冒険とかやってるんですか?
そう問うてくるのってすごく浅くねえ。
もちろん植村直己に憧れる人が多のはたしかだけど。
植村直己だけじゃないから。
医学部に進学した人に、野口英世の伝記を読んだのがきっかけですかっていちいち訊くようなもんだろう。
なんでもかんでも誰でも知ってるような著名人に絡めねえでほしいなッ!!
「ねえ、経験者ってどういう人たちのこと?」
「頭が固くって新しい試みに対する臆病者のことだよ(笑)」
かなり大ざっぱな比較。
日本人とカナダ人との登山における価値基準の話。
たとえば日本人だと山頂に立てなかったときにもったいないとよく言う。
せっかくあそこまで行ったのに。
それに対してカナダ人だと自然のなかにいるのに、あくせくすることをもったいないと表現する。
登らなくても幸せといえるのに。
(くどいようだけれどあくまでも超大ざっぱに見ての話だよ)
(じっさいには日本人にもカナダ人にも各々のタイプが居る)
日本の山(自然)とカナダの山(自然)とおなじくらいの時間を過ごした自分のなかには、気づかぬうちに2つの軸ができてしまったようだ。
ひとつは厳しい自然や自己と対峙して、それらを克服してゆくよろこび。
もうひとつは雄大な自然のなかでのびのびと旅をして、ときおり感じるやさしい時間。
この2つが自分のなかでとくに対立することもなく、ごくしぜんに座っている。
そうした2つの軸で行ってきたのが、これまでの自分の山旅の軌跡である。
だから一行では語れない(笑)
自分の弱さを見せることができるって、弱さだろうか強さだろうか。
自分の弱さを一生隠しつづけることができるって、弱さだろうか強さだろうか。