いまの自分のなかで山に登るっていう概念がほとんどないんだろうな。
山はただそこにいるだけで満たされる場所なんだろうな。
ここ10年間で立山の雷鳥沢で合計150泊以上してる。
夏をはさんだ季節でいちばんワクワクして落ち着く場所。
降りてきたばかりだけど、来月も半月くらい滞在したい。
好きなものって費やした時間にあらわれる。
自分にとって登山のピークっておそらく15、16歳だったのではないか。
山があまり怖くなかった。
17歳くらいから経験積むほど山がどんどん怖くなってきた。
ここ三十数年は、怖くて怖くてどこも登れない。
きっと山(チャンス)が逃げるってそういうことなんだろう。
もしかしたら経験積んだら何もできなくなって、さいごはプライドだけになっちゃうのかも。
つぎになにをやるんですか?
そう肯定的に訊かれた時点で、自分にとって意義はうすくなってしまう。
他者がとりわけ中途半端な努力型が、自分の発想や行動になんらかの違和感を抱いた時点で、すくなくとも自分にとってひとつの意義が生まれる。
それにしても型にハマりきった思考しかできない輩があまりにも多すぎるよな。
山に行ったら山頂踏まなきゃいけないとかさぁ(笑)
雷鳥沢でテント張ったら台風やり過ごさなくちゃいけないとかさぁ(笑)
朝の森。
ここ数年、鳥のさえずりを聞きながらゆっくり歩くだけで満たされるようになってきている。
(きのう撮った写真)
話してみないとわからないよ。
そうよくいわれる。
でもヘタに経験していたりヘタにお勉強ごっこしていたりしている人ほど、話してもまったくといっていいほど通じなかったりする。
凝り固まっているからなのか。
なぜ話が通じないのか分析するのは、けっこうおもしろい。