自分の行動なり考え方なりに対して、誰かがイメージできてしまった時点でもはや冒険は成り立たない、、
という視点は、やっぱり持っていたほうがいいよな、、
ツアー登山が中止にならないような状況下において、その山に何十回登ったところで、登山そのものの実力はほとんど問われないだろう。
真の登山の実力って、ツアー登山が中止になるような状況下になって、はじめて問われるのではないだろうか。
ここ数年、何かでっかいことしたいという欲がすっかりなくなってしまった。
気力が萎えているのとはすこしちがう。
自身にとってしっくりくる時間を多く過ごしたいとおもうようになった。
だって見た目こそでっかくって完成しているようでも、中身すかすかだと、どこか悔いものこってしまうから。
ここ数日、1日に何回もチェックしている。
トランス・ジャパン・アルプス・レース。
この速さ、ニンゲンやない!!
毎日何度も感嘆する。
自分にはマネできない。
たいせつなのは自分対対象だけれど。
自身の意識を高めるためにも、選手たちの記録は認識しておきたい。
https://www.tjar.jp/index.html
語りたいことがたくさんあるけれど、心のなかにしまっておきたい思い出もたくさんある。
失敗したから公表したくないのとはちがう。
口うるさいクライマーからいまの登りよかったねっていわれて自身でも会心の登攀だけれど、うまく言葉にできないしいつまでも心のなかにしまっておきたいものもある。
失敗したけれど心のなかでは会心の登攀もある。
語りたい思い出と心のなかにしまっておきたい思い出の境界線は自分でもよくわからない。
かぎりある人生。
これからは心のなかにしまっておきたい思い出をもっと増やしていけたらいいな。
もしかしたら、もっともたいせつなものほど言葉にするとさめちゃったりするのかな、、
○○山に100回登りましたより△△ルートを100回トライしたけど登れませんでしたのほうが遥かに厳しい。
だって厳しい山って100回も登れない。