つぎになにをやるんですか?
そう肯定的に訊かれた時点で、自分にとって意義はうすくなってしまう。
他者がとりわけ中途半端な努力型が、自分の発想や行動になんらかの違和感を抱いた時点で、すくなくとも自分にとってひとつの意義が生まれる。
それにしても型にハマりきった思考しかできない輩があまりにも多すぎるよな。
山に行ったら山頂踏まなきゃいけないとかさぁ(笑)
雷鳥沢でテント張ったら台風やり過ごさなくちゃいけないとかさぁ(笑)
朝の森。
ここ数年、鳥のさえずりを聞きながらゆっくり歩くだけで満たされるようになってきている。
(きのう撮った写真)
話してみないとわからないよ。
そうよくいわれる。
でもヘタに経験していたりヘタにお勉強ごっこしていたりしている人ほど、話してもまったくといっていいほど通じなかったりする。
凝り固まっているからなのか。
なぜ話が通じないのか分析するのは、けっこうおもしろい。
これまでの人生をふりかえって。
もうすこし粘ったらできたかもしれないってあんまりない。
それより、もっとはやく見切りをつければよかったなっていうほうが多い。
夜の桜を観ながらそんなことをおもった。
世の中、ほんとうにこれがやりたいなんていう人っていくらもいないんだろうな。
ほんとうにやりたいことがある人って、恵まれていなくても実行する。
1987年3月の甲斐駒ヶ岳の南坊主岩東壁。
二十歳になったかまだ十代だったかのころ。
(東大スキー山岳部は、1984年3月にこの壁を登っている。カラコルムの難峰K7の前哨戦として)
いまふり返ってみると、自分は山(壁)とはまったく向き合っていなかった。
山(壁)にいくたびに、自分はほんとうはいったい何がやりたいのだろうと問いかけられていた。
若いころからネガティブに思い悩むのが好きだった(笑)