よくまわり道をしたことを後悔したりする。
いっぽうでまわり道をしたからこそ悔いがなかったりもする。
十代からやりたいことやってきた自分に、五十代後半になっていまさらつぎなにやりたいですかなんて訊かないでくれよな。
やりたいことがあるなら体力気力のある若いころのほうが可能性あるっていう前提をどうとらえとるんやろなぁ。
やればできるっていっている人って、たいてい受け身型の努力をつづけていればいつか辿り着く、というところで夢の世界に引きこもってしまっている。
自分の行動なり考え方なりに対して、誰かがイメージできてしまった時点でもはや冒険は成り立たない、、
という視点は、やっぱり持っていたほうがいいよな、、
ツアー登山が中止にならないような状況下において、その山に何十回登ったところで、登山そのものの実力はほとんど問われないだろう。
真の登山の実力って、ツアー登山が中止になるような状況下になって、はじめて問われるのではないだろうか。
ここ数年、何かでっかいことしたいという欲がすっかりなくなってしまった。
気力が萎えているのとはすこしちがう。
自身にとってしっくりくる時間を多く過ごしたいとおもうようになった。
だって見た目こそでっかくって完成しているようでも、中身すかすかだと、どこか悔いものこってしまうから。