『高熱随道』(吉村昭著)
たぶん25年ぶりくらいの再読かな。
ほんとうにがんばった人は、表現する余裕もなく現場で逝ってしまったりする。
ほんとうに苦労した人は、声を発する機会もあたえられずに自殺に追いこまれたり行方不明になってしまったりする。
苦労話や武勇伝がダメだとはもちろん言わないけれど、そうした背景のもとに目立つ人というものが成り立っている。
『果てしなき山稜』(志水哲也著)が文庫本になった。
襟裳岬から日高山脈、十勝・大雪山系、北見山地そして宗谷岬へ、距離700キロ、期間半年。
厳冬の北海道を舞台にした山スキーによる単独踏破の紀行。
このなかのピークのどれか1つでも厳冬に立ってみればわかるけど、猛烈なラッセル、ホワイトアウト、雪庇踏み抜きによる墜落などどれもあまりにもリスクが高い。
(ピーク1つに立つだけでもじゅうぶんにたいへん)
はやい話がいつ死んでもおかしくない。
この山行が成されたのはすでに20年前だが、公に発表されたものや風の噂をふくめてもまだ追従する者は出てきていないようだ。
アスリートとしてのレベルが格段に上がってきて、山の天気や雪質の情報の質も格段に進歩しても、それに続く記録がないということは、科学による力では解決できない要素があまりにも多いということだ。
さて、この本で感動するのは、客観的な難度云々よりも物事に真摯に取り組む姿勢であろう。
とにかく目標を設定したら後先のことなどぐだぐだ考えずに、惚れ込んだルートに全身全霊であたる。
そして目標達成と同時に虚無感にも似た思いにつつまれているようにすら感じる。
最後はまっ白に燃え尽きる、明日のジョーみたいだ。
でもたとえ虚無感しか残らなかったとしても、情熱を完全燃焼させるという経験はそうそうできるものではないだろう。
縦走モノといえば単純作業のくり返しで、時間を費やしてコツコツ努力すれば誰にでもできると思われがちだ。
たしかに当たらずしも遠からず。
クライミングにくらべると先天的なセンスを問われる部分はすくない。
しかし目標に対してなりふりかまわずに情熱を傾けられるというのは、その生き方をふくめてある種の先天的な才能にすら思える。
2016.10.21 10:50 [
山 戯言 旅]
秋晴れの下ノ廊下を歩きながらこんなことを思った。
*
それにしてもよくこんなところに道を拓いたものだなぁ。
当時の職人さんたちの苦労が、ちょっと想像がつかない。
(水平歩道のむこうに見える奥鐘山西壁はオマエ登ってみろといわれれば登れちゃう(実際10回くらい登ったからね)けれど、じゃあオマエ水平歩道を作れといわれたらまったくお手上げだ)
もしかしたらというか当然というか、、、
ほんとうに現場でがんばっている人やほんとうに苦労した人って、多くを語ることもなくそして歴史のなかで名前も残ることもないんだろうな。
机上の歴史と現場の歴史の溝、それは黒部峡谷のように深い。
ひさびさに再読してみた。
「インタビュー 吉田和正」
自分とはやっていることも訪れるエリアもまるで接点がないけれど、なぜか物事に対する取り組む姿勢は共感することが多かった。
吉田和正の世界はディープすぎて、一般大衆に説明するのはあまりにも難しい。
彼のクライミング人生には、妥協という言葉がない。
何かをやるにあたって、つねにあらゆる犠牲のもとに成り立っている。
若いころからの激しいクライミングで、三十代のころから身体はすでにボロボロ。
腰を疲労骨折した状態で課題(クライミング)に挑む。
1日トライすると身体の故障ゆえに3日寝込む。
自虐的とも精神が破綻しているとも揶揄される取り組み方。
行動はスポーツだが、心は孤高のアーティストに通づるものがある。
効率や結果を重視する世の中において、こういう姿勢はむしろ否定的にとらえる人のほうが多いだろう。
でも効率や結果の一点張りでないところに、クライミングや冒険や人生のおもしろ味はあると思う。
自分としては、1つのテーマにこれほど真摯にのめり込める姿勢が羨ましくもあった。
マネはできないけれど、すこしでも近づけたら。
そして自分が厳冬カナダで凍傷などのアクシデントに見舞われるたびに、吉田和正のことを思った。
もし彼だったら凍傷で足の指が真っ黒の壊死状態になっても断念せずに精根尽き果てるまで歩きつづけるのではないだろうか。
現地で入院していた病院のベッドで、そんなことを日記に綴ったこともあった。
そうした意味では、影響を受けた部分はひじょうに大きい。
*
孤高のクライマー吉田和正は、先日ガンのために亡くなった。
http://blog.livedoor.jp/hardlucktome/
2016.10.21 09:33 [
山 戯言 旅]
9月下旬から10月上旬の半月ちかく、東北の山をまわってきた。
思ったよりも歩けたかな。
危惧していたほどヒザも腰も悪化しなかった。
傍から見たらどうでもいいような身体のわずかな変化に一喜一憂しているだけかもしれないけれど、故障持ちにとって体調がさして悪くないのはやはりそれなりに嬉しい。
さて東北の山は山そのものももちろん良いけれど、地味だけれど落ち着きのある山麓をふくめて山をとりまくぜんたいが魅力的に感じる。
何度訪れても良いところだなぁ。