「語るに値することは何ひとつありませんッ!」 近況を訊かれてそう答えると、たいてい空気が凍りついて会話が途切れる。 だってオリンピックでさんざんメダルをいくつ獲得したとか話題になってるってのに、自分なりにコツコツ努力したくれえで皆の前で何々やりましたなんておこがましくないだろうか。 他人との比較がすべてではないとはいえ、客観性がなさすぎるのもどうかな。 行動の成果そのもので完結するスポーツに対して、登山や冒険はいくらでも言葉によって偽造することができてしまう。 同じ登山や冒険であっても、死ぬかと思ったと一言添えることで、とたんにグレードアップされてしまう。 いや純粋に行動で勝負するアスリートと行動で足りないところを口でちゃらまかしてしまう登山家や冒険家のすさまじいばかりのギャップをすごく感じたりしているから。 だから近況を訊かれても、ぶっきらぼうに何もしてません、って自然に口から出ちゃう。 そういうトゲトゲしいノリが一般大衆を前にふさわしくないということはわかってるんだけど。 植村直己冒険賞20周年記念、ちょっと疲れたかな。 いや、けっこう疲れた。
おなじ場所にいても、人によって目に入ってくるものってちがう。 自分の場合、十代から二十代前半にかけては、山に行っても岩壁しか見えなかった。 そこに行くまでの途中の景色も山頂からの眺めも、いっさい記憶にない。 二十代半ばからしばらく二十年以上は、山からかんぜんに離れた。 ふり返ることもなかった。 ここ数年は、山に行くとこれまで気づかなかったいろいろな自然の変化が目にとまるようになってきた。 また何年かしたら、きっと変わるだろう。 そのとき目にとまったものには一歩近づいてみる。 目に入らなかったものは無理してさがさない。 まわりで話題になっているとかメディアが勧めているとかではなく、そのときそのときで自分が目にとまったものを眺めていけばいい。 そのときその人の目に入ったものが、その人が求めているもの。